《レーシック情報》レーシックで失明をしてしまう可能性


《レーシック情報》レーシックで失明をしてしまう可能性ブログ:14/6/07


母親は何でも自分で作る人でした。
スーパーで売っている出来合いの惣菜や、
インスタント食品は我が家では禁止。

その頃、
テレビでインスタントのラーメンやカレーライスの宣伝が
盛んに流れていました。

ダメと言われるとよけい食べたくなるもので、
テレビのCMを見るたびに、
いつも食べたいと指をくわえていました。

おかしなら目を盗んで買い食いできましたが、
ごはんのおかずは何でも一から手作りされてしまい、
息子にとってはいつも残念な気分でした。

お兄ちゃんとは並んでよく料理の手伝いをしました。
ゴマを香ばしくすったり、
茹でたじゃがいもの皮を剥いてマッシュするのは
息子の係りだと思っていましたから…
 
母親は必ず自分で作ったものを、
一番おいしい状態で食べさせてくれました。
それが当たり前という感覚だったようです。

得意の天ぷらは必ず熱いまま食卓に出てきました。
狭い台所だったのに、まるで魔法のように
次から次へと揚げたてが並ぶのです。

揚げたてを
おいしいうちに食べさせてあげたいという母親の思いは、
そのまま料理のおいしさになっていたと思います。

パパはサラリーマンで、
連日だいたい決まった時間に帰宅しました。

パパが風呂から上がると家族そろっての夕食。
パパには僕たちとは違う一品が付いていました。

今思えばその一品は晩酌用の日本酒の肴だったのでしょう。
素材そのものが違うこともありました。

例えば、
僕たちがあじの焼き魚の時、パパは蒸しかれいという具合い。

たまにパパがほんの少し料理を分けてくれるのですが、
それがすごく嬉しかったことを覚えています。

我が家には「パパの一品」が
いつも自然なものとして食卓に存在したのです。