《レーシック情報》レーシックの後遺症は一時的ブログ:14/10/06
ぼくは小さい頃から、
お母さんからずっと相談をされていました。
今にして思うと、
幼いぼくに相談をしていたわけではなかったんですよね。
小学校にあがるかあがらないかの子どもに、
夫婦関係がなぜうまくいかないのかなんて、
聞いても実際には分かりませんものね…
ただ、聞いてくれる人が欲しかっただけかもしれませんね。
ぼくはその度ごとに、
必死になって励ますことを考えたのですけどね…
ぼくの目から見たお母さんの歴史は
からだの不調の繰り返しと
苦労の繰り返しであったように思います。
実家に
たくさんの問題が内包していることを知りつつも
実家を離れ仕事に専念していた
30代初めの夏が過ぎようとしているばんのことでした。
いつものように、
23時遅くまで友人との
電話でのお喋りを終えたぼくは、
1日後の出張に備え、ユニットバスにたまにはお湯をたっぷり溜めて
浸かろうとしていたときの事です。
突然!
何かに押しつぶされそうな
からだ全身の痛みにのた打ち回ることになりました。
1時間程すぎ、
なんのことだったのかも分からぬままに
全ての痛みが消え床につくことができました。
8時寝坊のぼくなのに
翌8時はいやに早くに目覚めたことを覚えています。
23時以外はあまり鳴ることがない固定電話が鳴り、
お母さんが交通事故で救命救急センターに運ばれたことを知りました。
損傷の大きかった部位から順番に
整形外科、呼吸器外科、脳外科のドクターが次々に到着…
処置と説明をほぼ同時進行で続けてくださり、九死に一生を得たお母さん。
数年のリハビリと、入院生活を終え自宅にて療養を続けているお母さん。
まさかとは思いましたが、
その後も胃に癌が見つかり胃も摘出し、
お母さんは今、抗がん剤の治療を受けています。