《レーシック情報》レーシックの後遺症は一時的ブログ:22/3/05
オレの友人の父親が亡くなった。
友人の父親が病気で入院したのは最近のことで、
けれど、先月、病状は悪化し危篤となり、
7日間後に、亡くなられたのだ。
その7日間、
友人はずっと病床で父親を看病していた。
兄弟の中で、唯一、自由が利く職業だったから、
それは本当に幸運だったと言いながら、
本当に貴重な7日間だったと話してくれた。
友人の父親は、自ら事業を興した人だった。
とても苦労をした人だったという。
そして、一心に仕事をする人だったという。
友人もまた、自ら事業を興し、
仕事を一生懸命やってきた。
その原点は、やはり父親だった。
7日間の間、あらためてそれを思い出した。
そして、父親が今までしてくれたこと、
自分達にかけてくれた愛情について思い出し、
どれほど父親が愛を持って接してくれたかを感じたそうだ。
それは、
父親にお礼が言いたいという
思いになっていった。
けれど、なぜか言えない。
どうしてか言葉にできない…
「ありがとう」
それが言えたのは、
心音が消えたその瞬間だったそうだ。
友人の話を聴きながら、
もし、自分の父親が倒れて、
その最期を看取ることになったらどうするだろうと思った。
そんなこと、具体的に考えたことがなかったことに
オレは気がついた。
オレの父親は、愉快な人だし、
話す時は大変饒舌になるが、
自分の真の心の内を語ることは少ない人だ。
父親が今まで苦労してきたこと、本当に辛かったこと、
そして、オレ自身が今まで生きてきて辛かったこと、してほしかったこと…
そうした会話をきちんとしたことは一度もなかった。